siroame026のブログ

This Silence Is Mine

自分の存在とは

 

 

この「自分」というのは子供の頃からわからないままである。

誰しも「自分」とはなんなのかわからないものなのかもしれない。

 

ここで考える「自分」とは、他人からみた「自分」のことについてである。

 

最近になって過去の恋人を思い出す。

 

その恋人は男性でもあり、女性でもある。

わたしは性別関係なく、恋をしてしまうタイプの人間でもある。

けれど、今まで恋愛と呼べる恋愛などなかった。

わたしにとっては、恋愛ではなかったのだ。

 

恋人と呼べる一人一人がわたしの仕草や、趣味や、肉体そのものであったり、行動であったり、一緒に過ごす時間であったりと「わたしとの時間」に愛情を注いでくれていた

 

もっと話していたい

もっとそばにいたい

できる限り辛い気持ちを理解したい

 

そんな気持ちでわたしに接してくれていた人たちを

わたしはただ、甘えるだけのぬいぐるみでしかなく、自分を愛せる人間などいるはずがないと否定していた。

その気持ちが人間の心なのだと気付いたこともなかった。

気付けば、「俺は必要じゃないのか?」と泣いている彼が目の前で苦しそうにしていた。

わたしはその涙でさえも、見つめて抱きしめてあげられずに

彼らを殴り続けて「わたしを愛すな」と言葉だけで暴力を振るっていた。

 

わたしは自分しか見えていなかったのである。

今でもわたしはそうなのだろう。

そういう部分こそが病気であり障害だったのだろう。

恋愛だけでなく、性的なトラブルも自身を見つめるいい要素になった。

今更ではあるが、彼らの気持ちや涙がはっきりと見えている。いや、わたし如きが彼らを理解してはならない。

わたしはどのような人間なのかを考えだす度に過去が起き上がりこれまでをわたしに語りかけるのである。

「自分」というものなどわからなくていいのだ。

あくまでも「自分」の中では。

 

ただ行動によっては相手から見る「自分」はとても恐ろしくおぞましい悲劇となっていることもあるのだということを忘れてはならない。

 

わからない時はわからないままでいるしかない。問えば問うほどに失うだろう。逃げれば逃げるほど追いかけてくるのが「自分」。その現実からは逃れられるはずがない。

 

そのまま静かに待とう。わたしだと思える日を。深く沈んでこそ見えるものを待とう。

 

過去は、脈がない肉体の中で流れ続ける感覚だと思っている。

 

 

わたしはただの時計であってそれ以外はこの地球上で生きる動物でしかない

 

発した言葉や行動が「存在」として残るのだろうとわたしは感じている

それが正しいかどうかはわからない

また別の「存在」が見える日も来るのだろう

 

すべては、わたし次第なのだと思っている。