siroame026のブログ

This Silence Is Mine

気付いたこと

 

わたしわかったかもしれない

わかったっていうより思い出した

 

さっき夕飯食べれなくて母親が用意してくれてたのかな

それすらわかってなくて頭抱えてウーウー言ってた

若干気絶しかけたんだけど

意識遠くなっちゃってて体がフラフラしてて

 

フラッシュバックかなぁ

でも記憶じゃなくて感情がそうなったって感じで

周りが霧みたいになって

思い出したのが

今年の春ぐらいに夜中だったと思うけど

寝れなくてとにかく苦しくて

そしたらね、体が勝手に動いて冷蔵庫の中身を放り投げて「ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙」ってなってたことあって、錯乱から発狂に変わったのかな

わからないけど

母親に気を使って泣くのを我慢しすぎてそうなったことがあって

母親の前では笑っていなきゃ

明るくしてなきゃダメだって子供の時からそうだった

怒られるのが怖かったな

わたしのせいで泣いてる?って言われる怖さ

わたし何もしてないでしょ!

泣く理由がどこにあるの!って言われる怖さ

とにかく心配かけるな!が強い母親で

 

わたしはあまり感情出せないから

でもそれからはパタリと発狂が止まって

 

今日ぐらいまで、リセットされて何も無い感じに、いい感じになってたけど

 

いきなり怒りとか悲しいとか体から煙出てきたみたいになってて

やっぱり急にそうなる

そういうことってある

安定しててもガタンって落ちる

怖い

あ、今いい調子だ!

このままなら大丈夫だ!

って思ってた

感情って見えないし透明で

なんかおかしいぞ?ぐらいにしかならなかったり

自分の感情に対して何も感じられないから表には絶対出ない

悲しくても第三者から見たら普通に真顔で特に涙流してないし落ち着いて見えるけど

わたしだけが頭の中でだけ泣いてて暴れててっていうのがずっとあった

七月まで自分があまりに大人しくて

違う人みたいに感じてた

今までのことが嘘みたいだった

わたしはそんなことしないよねって信じてたら

やっぱりそれも自分だったし

今は今で変わったのかもしれないけど

 

さっきやっと体ごと涙を流すってのが出来て

今までは意識の中で動いてたんだなーって気付いた

 

 

終わり

 

 

 

 

無題

 

なにも感じられないことは寂しい

なにかを感じれば邪魔で燃やそうとする

 

変わらない、あの場所と

ただ壁しか見えない空間でしか私は存在できなかった

今ではすべてがわたしを通り抜け、わたしが見えていないかのようだ

 

わたしは望んだまま空間を壁に変えた

窓を見つめているだけの絵でしかない

それが再生され続けていた

わたしの意思や感情に穴を空けて自分に飛んでこないように捨てた

わたしの目や耳は変わっていない

変わったのは背景だけだ

 

 

無くなることはやはりできない

無くなりたかったものにはなれたんだ、確かに

 

産まれた時(造られた時)からなにも感じてはいなかった

なにかを活きたこともなかった

なにかを夢見たこともなかった

 

人は必要とされて存在できるのだろう

わたしは嫌われすぎた、自分に

わたしは殴られすぎた、自分に

見つめられたことすらないんだ、奴に

それはわたしにも都合が良かった

痛いというよりただぼんやりとするだけ

心臓だけが無傷なまま

どこを見てもわたしは死んでいた

確信した

 

 

友人の死

 

 

五月がそろそろ終わります。毎年五月は自殺で亡くなった、たった一人の友人を思い出してしまいます。

 

保育園に通っていた頃からよく一緒に遊んでいました。

いつも笑顔で明るい感じの子でした。

だけど時々、急に何も話さなくなることが多々ありました。

彼女は19歳で亡くなりました。

わたしが学校に行かなくなり入院が続き、自分が当時、閉鎖病棟の隔離室に入れられていた時

丁度今ぐらいの五月でした。

当時は、その子が行方不明が続いていると噂で聞いていて

わたしは自分のことで精一杯で彼女のことをすっかり忘れていました。

 

わたしが落ち着いたころ、担当医からその友人が亡くなったと聞かされた時は頭が真っ白で

涙が出ませんでした。

そして誰もいない沈黙の中で、彼女と過ごした記憶をずっと頭の中で繰り返し再生していくと、ポツリポツリ涙が出てくるんです。

彼女が行方不明だったとき、彼女の家族は探そうとしませんでした。

帰りが遅くても心配しない母親でした。

小学生の時、運動会や授業参観で保護者は見に来るのが普通ですが

彼女の場合は誰も来なかったんです。

運動会のお昼の休み時間はわたしとわたしの家族とでお弁当も分けて一緒に食べていました。

とにかく、彼女に対して無関心な家族でした。

それが彼女を死へと追い込んだのでは、と思いました。

未だに彼女の命日がはっきりとしていません。

死因は、川で溺死したと聞いています。

わたしが入院していたころ、彼女も統合失調症で入院もしていました。

 

わたしが最後に彼女を見たのはわたしが施設のイベントで彼女が入院している精神科へ行ったときです。

 

たまたま、彼女が院内を歩いているのを見て

わたしは名前を大声で呼んだのですが

もう見るからに生気がなく、声が届かずそのまま遠くへ歩いていったのを見たのが最後でした。

彼女の中で何があったのかはわかりません。

たまたまわたしが彼女と仲が良かっただけなのかもしれないと今は思います。

 

彼女の苦しみは彼女にしかわからないし

友人だったからって身内面するのもなんかなって思います。

 

だけど彼女のことを忘れることができません。

彼女の死がわたしの視点を変えたような気もします。

 

生きていた存在が消えるという実感を全身で感じているせいか、死を考えることが増えて行きました。

 

 

 

 

あなたは今どこにいるのだろう。

わたしはあなたを救ってはやれなかった。

あなたの笑顔は眩しかった

わたしはたまたまあなたのそばにいただけだった。

あなたがそばに居たからわたしは今まで救われてきた。

あなたを知ったつもりでいるのではなく

あなたという存在がわたしの中で永遠であってほしい

 

いつかどこかで

 

 

現状

最近は病気が安定しているように感じます。

14歳で自律神経失調症になり、

17歳で解離性障害と先生に言われました。

 

あれから自分との戦いが毎日あったわけですが、今でもやっぱりあります。

わたしがわたしである以上は一生付きまとうものだと思います。

 

以前と比べると人格は安定しているように思うのですが、これが社会の前に出るとどうなるか

 

今通っている精神科のデイケアを考えてはいますが、人間関係の不安がどうしてもあるわけです。

互いに患者なので些細なことでトラブルになるのも目に見えています。

精神科の紹介で、これまでにも「通う」という形で施設に毎日行っていたけれど

わたし自身がそこにいたくないと苛苛したり

突然、救急車に運ばれたり

他の当事者の方が発作を起こした時、わたしにも移ってしまって余計おかしくなったり

なんというかその人が感じているものがそのまま憑る、伝染してしまうんです。これがわたしは耐えられないんです。なんかいろいろあの場では大変だったので悩んでいるという感じです。

 

家から出られない日があまりにも長い

 

そりゃ「~に行きたいんだけど」といえば連れて行ってくれる家族がいますからまったく出られないというわけではない。

 

たった一人で自由に動くというのはできないわけですよね。いろいろ自分が出来ないことが多い故に

 

 

とりあえず自分が頑張れるのは今日を生きることしかありません。

いっそのこと終わってしまいたいです、ほんとに。

 

わたしの中では何もかもすべて終わっているようなものなんですが、体は死んではいません。

 

それだけでしかありません。

それだけで素晴らしいことなのかもしれませんが

わたしの中では墓場でしかないから、と。

 

宗教の所為にするのはちょっと違うんだけど 

その教えが好きにはなれない。

死後、墓に入るというのに恐怖がある。

死っていうのは今のような感情にも十分指せるし

肉体があるというのを除けば屍と同じです。

わたしの周りはあまりにも墓場すぎる。

 

明日からまた呼吸を繰り返すだけの日々が来ます。

麻痺というか苦痛そのものは以前よりさほど感じなくなってるので今のところは良しとします。

 

 

自分の存在とは

 

 

この「自分」というのは子供の頃からわからないままである。

誰しも「自分」とはなんなのかわからないものなのかもしれない。

 

ここで考える「自分」とは、他人からみた「自分」のことについてである。

 

最近になって過去の恋人を思い出す。

 

その恋人は男性でもあり、女性でもある。

わたしは性別関係なく、恋をしてしまうタイプの人間でもある。

けれど、今まで恋愛と呼べる恋愛などなかった。

わたしにとっては、恋愛ではなかったのだ。

 

恋人と呼べる一人一人がわたしの仕草や、趣味や、肉体そのものであったり、行動であったり、一緒に過ごす時間であったりと「わたしとの時間」に愛情を注いでくれていた

 

もっと話していたい

もっとそばにいたい

できる限り辛い気持ちを理解したい

 

そんな気持ちでわたしに接してくれていた人たちを

わたしはただ、甘えるだけのぬいぐるみでしかなく、自分を愛せる人間などいるはずがないと否定していた。

その気持ちが人間の心なのだと気付いたこともなかった。

気付けば、「俺は必要じゃないのか?」と泣いている彼が目の前で苦しそうにしていた。

わたしはその涙でさえも、見つめて抱きしめてあげられずに

彼らを殴り続けて「わたしを愛すな」と言葉だけで暴力を振るっていた。

 

わたしは自分しか見えていなかったのである。

今でもわたしはそうなのだろう。

そういう部分こそが病気であり障害だったのだろう。

恋愛だけでなく、性的なトラブルも自身を見つめるいい要素になった。

今更ではあるが、彼らの気持ちや涙がはっきりと見えている。いや、わたし如きが彼らを理解してはならない。

わたしはどのような人間なのかを考えだす度に過去が起き上がりこれまでをわたしに語りかけるのである。

「自分」というものなどわからなくていいのだ。

あくまでも「自分」の中では。

 

ただ行動によっては相手から見る「自分」はとても恐ろしくおぞましい悲劇となっていることもあるのだということを忘れてはならない。

 

わからない時はわからないままでいるしかない。問えば問うほどに失うだろう。逃げれば逃げるほど追いかけてくるのが「自分」。その現実からは逃れられるはずがない。

 

そのまま静かに待とう。わたしだと思える日を。深く沈んでこそ見えるものを待とう。

 

過去は、脈がない肉体の中で流れ続ける感覚だと思っている。

 

 

わたしはただの時計であってそれ以外はこの地球上で生きる動物でしかない

 

発した言葉や行動が「存在」として残るのだろうとわたしは感じている

それが正しいかどうかはわからない

また別の「存在」が見える日も来るのだろう

 

すべては、わたし次第なのだと思っている。